生い立ち
想いをかたちにする、大工社長の原点

家は県営住宅の長屋。狭く、裕福とはいえない暮らしでしたが、
子どもたちがたくさんいる環境の中で、毎日泥だらけになって駆け回る日々を過ごしていました。
時には悪さをして近所のおばちゃんに叱られたり、
車にはねられて 8 メートルも飛ばされたのに、かすり傷だけで済んだりしたことも(笑)。
地域の人の温もりに包まれながら、のびのびと成長していきました。
大工の父の背中

ある日、大工だった父が私たち姉弟のために三畳ほどの"手づくりの子ども部屋"を作ってくれたのです。
新しい材料ではなかったので木の香りはしませんでしたが、
そこには父の工夫と愛情が詰まっていて、私にとっては宝物のような空間でした。
「大工って、かっこいい」――そのとき抱いた想いは、今もずっと心に残っています。
部活・反抗期・そして仲間との絆

仲間と流した汗と涙は私の大切な原点であり、
一生涯の友人ができました。
反抗期には先生にたくさん心配をかけ、
「あなたみたいな生徒は初めて」と言われたこともありました。
でも、あの時代があったからこそ、今の自分があると思っています。
高校ではラグビーに挑戦。
激しいタックルで鎖骨を骨折し、「もうダメかもしれない」と思った試練を経て、
復帰したときの喜びは今も忘れません。
心と体、そして人との信頼――。
スポーツから学んだものは、職人としての礎にもなっています。
大阪での修行、人生の師匠との出会い
親方の言葉が、今も支えになっている
高校卒業後、進路に迷っていた私に、祖父が
「木造建築の職業訓練校に行ってみらんか?」と声をかけてくれました。
それが、すべての始まりでした。
訓練校を卒業後、修行の場として大阪へ。
新築工事を覚えたかったのですが、リフォーム改修工事を主とする工務店に配属となり戸惑いがありました。
しかし、大阪府大東市で出会った親方が、私に『職人の心』を叩き込んでくれました。
「新築は誰でもできる。全部が新しいんやからな。でもな、リフォームは、誰にでもできるもんやない。
辛抱して続けてみい」
京都、奈良、兵庫へと現場を転々とし、
木造・鉄骨・RC 造・店舗工事など、数えきれない現場を経験。
失敗も悔しさもありましたが、
「人が手をかけたものに、直せないものはない」という教えを胸に、
私は腕を磨いていきました。
支えてくれた人がいた
大阪での修行に挑んだ私のもとへ、地元から迷わず来てくれた彼女。
不安の多い日々の中で、彼女の存在が何度も私を救ってくれました。
その後、私たちは結婚し、夫婦二人三脚で大阪の生活を乗り越えました。
彼女がいなければ、今の私はありません。
人生で一番の理解者であり、今も"心の支柱"として、私を支え続けてくれています。
宮崎へ帰る。父との再出発
父と息子、二代にわたる"地元密着の家づくり"
大阪での修行を終え、私はふるさと宮崎に戻りました。
あたたかな空気、人の優しさ、そして自然の恵み。
やはり、私はこの宮崎で家を建てたい。
人の暮らしに寄り添いたい。
そう強く思ったのです。
大工として生きてきた父と肩を並べ、再び現場に立ちました。
様々な工務店の下請け大工として朝から夜まで、
家族の為、父と共に13 年で約 100 棟。
一棟一棟に心を込め、家族の未来を支える家をつくってきました。
しかし、下請けという立場では限界も感じていました。
価格で仕事が奪われる日々。
「良い家をつくっても、それが"自分たちの誇り"として残らない」
そんな葛藤が、心の中でくすぶっていたのです。
そのとき思い出したのが、修行時代の親方の言葉でした。
「浩司、人から選ばれる職人になれ」
決意の独立。大工社長として
宮崎の地で、"顔の見える家づくり"を実現すべく、39歳で独立を決断。
宮崎は決して大きな市場ではありません。
しかしだからこそ、「誰が建てるか」が問われる地域でもあります。
人との信頼、地元での評判、丁寧な仕事。それが何より大切。
紹介や親戚からの仕事が少しずつ増え、
「またあの人に頼みたい」と思ってもらえる家づくりを、一つひとつ積み上げてきました。
「自分で建てた家は、私が全ての責任を持つ」
その信念を貫き、設計から施工、アフターケアに至るまで、一貫して真摯に向き合い続けています。
家づくりに込める想い
"自分の手で、人の幸せをつくる"という使命
私にとって家づくりとは、
「ただ住める建物をつくること」ではありません。
宮崎の風土、気候、家族構成、暮らし方――
それぞれのご家族にとって最適な住まいをつくるには、
地域のことを知り、人を知り、その想いに本気で寄り添うことが必要です。
「理想の暮らしを叶えたい」
「子どもがのびのび育つ家にしたい」
「老後まで安心して住める家がいい」
それぞれの願いに耳を傾け、本当に満足できる"暮らしの器"を届ける。
それが、私の仕事です。
完成後、
「樋渡さんに家づくりをお願いして本当によかった」と喜んで下さるお客様の声が原動力です。
これからの夢
"次の世代にも、選ばれる家づくりを"
私には、ある夢があります。
「樋渡さん、今度は私たちの家もお願いできますか?」
そんなふうに、かつて家を建てたご家族の子どもたちからも、信頼される職人でいたい。
宮崎という土地に根ざし、親子二代・三代とつながる関係を築いていきたい。
そのためには、目の前のお客様に、ただ満足してもらうだけでは不十分。
「建てた後の暮らし」まで見守り続けることが、私の責任だと思っています。
家づくりはゴールではなく、スタート。
「住んでからが本当の仕事」だと、私は信じています。
最後に
もし、あなたが今、
家づくりに迷いや不安を感じているなら――
一度、私に会いに来てください。
売り込みはしません。
ただ、あなたの声をじっくり聴かせてください。
家づくりは、暮らしづくりであり、人づくり。
「心と心」がつながったとき、初めて"本当に良い家"が生まれる。
それが、私の信念です。
宮崎の地で、あなたと共に、世界に一つだけの家をつくること。
それが、私の何よりの喜びです。